ナコウ山山頂から僅か数十メートル下。
石鑿による成形跡が残された築城石がありました。
周囲はテラス状で複数の矢割石、矢穴石が点在することから石丁場であったことが覗えます。

修羅道を伴う「羽柴越中守石場」の刻字が入った丁場跡から、
山頂を西に回り込んだ場所に位置していました。
殆どの石材が運び出されたと思われるナコウ山山頂付近に残る大型石材(荒削り角石)ですが、
「羽柴越中守石場」の前面に広がる修羅道まで運び出すためには、急斜面を斜め方向に運び出さなければならない立地条件に加え、
わずか数メートルですが尾根を超えなければなりません。

多分、角石として加工された石材。
石材加工は慶長期、まだまだ江戸城大改修は数十年続きます。
しかし、運ばれることがなかった築城石。

運び出し断念、無念の石工達の苦悩が伝わります。


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