ナコウ山山頂付近、荒削り角石小口に刻まれた刻印。
○に丁、またはアルファベットのT。

・・・アルファベットのT?
江戸時代初期に・・・?と思われますが、
キリシタン大名達の代表紋にアルファベットが用いられていたことが多々あったのです。

ナコウ山山頂付近の石丁場担当大名はキリシタン大名の代表格でもある細川忠興。
正室は明智光秀の娘、玉子こと細川ガラシャ・・・。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と時代の豪将に翻弄された細川忠興。
江戸城築城石採石の際も通常ではあり得ない標高300m超の石丁場担当を割り当てられ、
その苦労は並々ならぬものがあったと思われます。

なぜ、ナコウ山であったのか・・?
運び出されることがなかった角石・・。
複雑に折り重なった時代の流れが、四百有余年経った一つの山の山頂に存在しているのです。


閉じる