毛利家と稲葉家の担当丁場を隔てる谷筋を下ると両家の刻印ではない「△紋」が姿を現しました。 洞ノ入石丁場には複数の大名家が石材切出しの石丁場を担当していました。 「△紋」は多くの石丁場で確認されていますが洞ノ入石丁場でこの刻印を刻んだ大名家は不明です。