石材の左側、矢割りされた切断面に残る矢穴跡は大型で慶長期の作業と思われます。
石材上面に開けられた矢穴は比較的小さく、元和〜寛永時代の作業のようです。

幕府からの築城に関わる手伝普請は、継続的に発令されていた訳ではなく、
徳川家康から秀忠、家光の三代に渡り断続的に普請が発令されていたため、
時代の異なる作業跡が同じ石丁場に存在しているのです。


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