「石切場」直下の海岸線に降りてみました。
存在を確信していた矢穴石を確認することが出来たのです。
江戸城築城石採石の採石大名を記した「細川古文書」「山内文書」には、
荒里(安良里の旧名称)と宇久次(宇久須の旧名称)の地名が石載船係留港として記載されていますが、
黄金崎付近の土地名は採石地として記載されていません。
黄金崎付近の石丁場を担当した大名家は不明ですが、駿府城城郭石材や久能山東照宮造営石材として採石、
寛永時代以降の江戸城城郭修復の石材を採石していたと思われます。
また、同地区は石丁場としての調査が殆ど行われていません。
今後、採石大名家の刻印など調査実施により新発見があるかも知れません。