目印の線条痕から大きく外れた矢穴を持つ巨石の反対面。
二列の矢穴は大きさ、間隔が異なっています。
現在までの築城石研究の通説では、
右側の矢穴は矢穴幅が大きく慶長時代、
左側は矢穴幅が小さく元和〜寛永時代と判断しますが・・。

あくまでも私の推測として、
矢穴幅は採石をした時代に大きな関係はなく、
石の堅さや割り方向によって石割の道具を換えていたのではないか、と思うのです。
使用する道具によって矢穴幅、間隔を換えていたのではないでしょうか。

同じ石の同じ面に彫られた異なる幅と間隔の矢穴。
約四十年に渡る採石の歴史で、
別々の採石時期で矢穴を開けたとは考えにくく、
この石丁場跡一帯の特徴から、
指南役が道具による矢穴の開け方実習を石工達相手に実施した割石と理解した方が納得するのですが・・。



閉じる